「未知の痛み、希う想い」

 

 屋島の戦いに勝利し、源氏の陣はいつにも増して賑わっていた。

 外には近くから来た物売り達が店を連ね、威勢のよい掛け声が飛び交っている。道行く雑踏は
ざわめきに満ちていた。

 その一角に立つ店で、望美はきょろきょろと辺りを見渡した。

 この人ごみの中では、自分がいた陣も遠く感じる。源氏の物である事を示す白旗がわずかに
見える程度だ。

 「とりあえず、元来た道を帰りましょうか」

 「そうだな。では、行こう」

 隣に立つ敦盛が陣の方向へと足を向ける。店の主である女性の行商人に会釈をして、望美も
歩き出そうとした時だった。

 「毎度あり、幸せになるんだよ。ちょいと、そこのお兄さん」

 店の主に呼び止められた敦盛が、戸惑ったように振り返る。

 「あの……私の事だろうか」

 「そうだよ。もう割らないように鈴をちゃんとしまっときな」

 念押しするかのような力強い口調で、行商人が言葉を続けた。

 「あんた達はまだ若いんだ。これからいい事もたくさんあるんだし、彼女を大事にするんだよ」

 つい先程、二人が揃いの小さな土鈴を勧められた時に敦盛が話した、幼い頃の思い出。

 この行商人は、彼が怨霊である事を知らない。けれど――

 「あ、ああ……気に掛けさせてしまって、すまない」

 敦盛は頬を赤くしながら、小声で頷いた。

 「そんなんじゃないよ。あたしも若い時はいろいろあったからね。ただのお節介さ」

 行商人はそう言って、豪快に笑ってみせた。

 

 ――幸せ、か。

 陣に戻った後、陣幕の外の森に出て、望美は夜空を眺めていた。

 彼方には、清麗に輝く満月。散りばめられた星々もまた、煌々と瞬いている。

 愁いを帯びた横顔が、月明かりに照らされた。

 敦盛と二人で揃いの小さな土鈴を買った時にも、彼の幸せを願った。

 敦盛は懐かしそうに幼い頃の思い出を話していたけれど、その瞳は悲しげに揺れていたから。
自分には、他に掛けられる言葉が思い付かなかった。

 なのに、なぜ今も胸が痛むのだろう。あの行商人だって、見ず知らずの自分達を応援して
くれていたではないか。

 わからない。棘のように刺さったまま、抜けないこの痛みが。

 風が、木々の梢を揺らした。

 疼く胸に両手を当て、望美は抑え付けるように目を閉じた。

 皆や、敦盛には気付かれたくない。

 せめて、この痛みが消えるまでは――

 

 どれほどの間、そうしていただろうか。

 「神子!」

 凛と響く声が、沈みこんでいた望美の意識を引き戻した。うっすらと目を開けると、敦盛が
目の前で心配そうに自分を見つめている。

 「敦盛さん……何で来たんですか」

 「陣にあなたがいなかったから、辺りを捜していた。そんな事よりも、何があったんだ」

 望美は悲しげにうつむいた。この痛みを、言えるはずがなかったから。

 「大丈夫です。早く皆の所に戻って下さい」

 「だめだ。あなたの苦しみを放っておきたくはない」

 たたみ掛けるような言葉に顔を上げ、困ったように微笑む望美。

 「敦盛さんには、かなわないなあ……」

 

 ややあって、望美がぽつりと口を開いた。

 「わからない事があったんです」

 「わからない事?」

 「何で敦盛さんは、経正さんを封印した私を責めないんだろって」

 望美は唇を噛んだ。本当は、怖れていたのかもしれない。それを確かめる事で、彼が
自分から離れてしまうのではないだろうかと。

 「だが、浄化を願ったのは私だ。あなたに罪はない」

 「でも直接お兄さんを封印して、敦盛さんに辛い思いをさせたのは私です!」

 敦盛は驚きと戸惑いが入り交じったような表情を浮かべた。望美は自分の胸に当てた
ままの両手を、強く握りしめていた。

 胸をかきむしりたくなるほどに、鋭い痛みが走る。

 ――お願い、そんな目で見ないで。

 「敦盛さんは私の事を優しいって言ってくれたけど、違うんです。私は――」

 嗚咽と共に、涙が一筋こぼれ落ちた。

 「私は、ひどい神子なんです……」

 敦盛さんの大切な人達を、消してしまったんだから――

 

 一歩、敦盛が足を踏み出す。

 手を伸ばして、彼は望美の頬に触れた。その温もりに、望美がぴくりと身を振るわせる。

 「えっ……?」

 「神子、私はそう思えない。あなたが私の失った分以上の幸せを願ってくれた時、私は……
嬉しかったんだ。罪を重ねたこの身には幸せになる資格はないと思っていたけれど、それでも」

 頬を両手で包まれ、抑えていた涙が溢れる。

 「もしあなたの優しさが偽りならば、兄上を討った罪の重みから、立ち上がることは出来なかった。
どうか、泣かないでくれ。あなたの幸せを願ったのは、本心だから」

 とめどなくこぼれ続ける涙を、敦盛は指で優しく拭った。

 「私も、あの時言った事は本当ですよ。何であっても幸せになれない人なんて、いないと思うから」

 「神子……」

 敦盛は望美の頭を抱え、そっと胸に引き寄せた。ふわりと漂う、髪の甘い香り。

 「大切な、あなただけは失くしたくない」

 「……っ」

 敦盛の手が背中に回り、深く抱きしめられる。痛いほどに優しい抱擁に身を委ね、頷いた。


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