「帰るべき在処」



 宵闇月の美しい光が、波間を照らしていた。

 最後の戦の後、神子にめぐり逢えた帰り道。京へと戻る船の船首で夜風に吹かれ、静かに笛を奏でる。

 音は私の心を映したかのように揺らいでいた。

 なぜだろう。想いを通わせることが出来たはずなのに。

 わだかまりのような気持ちが残っているのは……。



 ――想いを通わせた後、一つだけ気がかりなことがあった。

 それを確かめるのを恐れているのかもしれない。笛の歌口に当てた唇が、かすかに震えていた。



 控えめな拍手の音で手を止め振り向くと、神子が立っていた。深紫の髪を潮風になびかせる、花のような姿。

 「神子……すまない、起こしてしまったようだな」

 「ううん、気にしないで下さい。綺麗な音でしたよ」

 気を悪くする様子もなく神子は拙い笛をほめてくれた。思わず耳まで真っ赤になってしまう。

 「そ、そんなことはない」

 先程の笛は乱れてしまっていたのに。

 「すまない……」

 言葉に詰まり、目を伏せる。

 「何か、あったんですか?」

 傍らに立つと、怪訝そうに神子は尋ねた。

 笛をしまって向き直る。

 言わねばならない――かすかにちくり、と痛むものを感じた。

 「神子、すまない。結局あなたをこの世界に繋ぎ止めてしまったな。……それでも、よかったのか?」

 皆、あるべき場所へ帰って行った。あなたは何も言わずにずっとこの世界に残っている。

 (私のわがままではなかっただろうか)

 そんなこといいんです、と神子は言った。迷いなどないような口調で。

 「敦盛さんが消えたまま帰れません。それに、私は……あなたの所に帰りたかったから、ずっと捜してたんですよ」

 「神子……」



 ――帰りたかったのは、側にいたかったから。

 私も同じ事を願っていたと気付いた。

 でなければ、めぐり逢うことなど叶わなかっただろう。

 (何を、私は恐れていたんだ)



 懐から、以前神子と共に買った揃いの鈴の片方を取り出す。

 神子も鈴を鳴らすと、優しく澄んだ音色が響いた。

 「この鈴とあなたの声が、道標になってくれた。ありがとう、神子」

 はい、と神子は頷いた。

 「敦盛さんが帰って来てくれて、ほんとに嬉しかったんですよ」

 震えるような声で、言葉を紡ぐ。

 「だからもう、消えるなんて、言わないで……」

 深緑の瞳から、鈴を握り締めた手に大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは一つ、また一つと留まらずに流れ、波紋を作る。

 神子は瞳を閉じると、水面が揺れるように優しい笑顔を向けた。

 涙の雫を残したまま微笑む姿は、月明かりに照らされて眩しく――儚い。

 「……大丈夫だ」

 細い身体を壊れてしまわぬように抱き寄せ、誓う。人ならぬこの身が不確かだとしても。

 「私は、もうどこへも行かないから」

 「ん……」

 潮風が凪ぎ、静寂が訪れた。



 どれほど時が経っただろう。腕の中で、神子が小さな声で言った。

 「そういえば、大事なこと言い忘れてましたよね。お帰りなさい、敦盛さん」

 その言葉に心から安らぐのを感じた。応えてあなたを初めて名で呼ぶ。

 「ああ……ただいま……望美」

 そっと口付けを交わす。かすかに、あの鈴の音が聞こえていた。


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