「水無月の花嫁」

 

 「ねえ敦盛さん。私のいた世界には、こんなお話があるんです」

 誕生日の夜、満月の美しい光に横顔を照らされて。縁側に座る望美は、幼子のように
あどけなく微笑んでいた。

 「六月に結婚した花嫁は、幸せになれるって。今日が敦盛さんの誕生日だから、もうすぐですね」

 「水無月の、祝言か」

 敦盛は頬を赤くしながら反すうする。

 かつて厳島神社で、永遠など約せないと言った事があった。だがもし、ずっと望んでいた願いが
許されるなら。それが、人ならぬ身のわがままだと知っていても。

 「望美、私がもし水無月にあなたと祝言を挙げたいと言ったならば、あなたは笑ってくれるだろうか」

 「うん、敦盛さんが私を望んでくれて嬉しい」

 「約束したいんだ。ずっと、側にいたいから」

 互いに両手を重ね、敦盛は望美の唇へ、愛しむように口付けた。

 温もりを確かめ、そっと息を吸い込む。どうか、この願いが叶うようにと。

 

 祝言の約束を交わしてから五日が過ぎ、水無月になった。

 朔に会いに行きたいと言う望美に付き添う形で、敦盛は虎猫のスズも連れ、京邸を訪れていた。
京邸の座敷にて。

 「朔は、黒龍とまた夫婦になるんでしょ」

 「ええ、あの人が帰って来てくれたから。近いうちに大原の尼寺で、還俗を済ませるつもりよ」

 望美の問いに、朔は傍らに座る幼い黒龍に、愛しげな眼差しを向けながら答えた。

 自分が黒龍の逆鱗を割った事で新たに生じた、応龍の陰たる半身。彼が龍と人とに身を分けた、人の姿だ。

 「敦盛、あなたのおかげで私は神子に逢えた。礼を言う」

 黒龍の口調には、子供の姿ながらも凛とした響きが込められていた。

 「ああ」

 「でも望美、どうしたの? 改まってその事を聞くなんて」

 何気なく朔が発した問いに、望美は目を伏せて言葉を選ぶかのように。

 「えっと、私のいた世界では、六月に結婚した花嫁は幸せになるって言うお話があったの。黒龍と
結婚式をするなら、六月がいいって伝えたかったんだ。朔にも幸せになって欲しいから」

 望美はうつむくと、膝上に座るスズをぎゅっと抱きかかえた。

 その仕草に、敦盛は穏やかに微笑みを浮かべる。望美は自分だけでなく、人の幸せも考えられる人だから。

 「素敵なお話ね、水無月といえば今月だけれど。あらもしかして」

 朔が何かに思い当たったように顔を上げ、敦盛と望美へ交互に視線を向けた。

 「あなた達は、もう祝言を決めているのかしら」

 「う、うん。二週間後には熊野本宮でするつもり」

 「わかるものなのか」

 朔の優しげな視線に、敦盛は望美と顔を見合わせながら、頬が熱くなるのを感じていた。

 仲間から祝福されるのは、こそばゆいようでいてとても幸せな心地だった。

 「今の望美が、黒龍といた頃の私に似ていたから。望美、私の部屋まで来てくれる?」

 ゆっくりと立つ朔に促され、望美がスズを敦盛に預けて立ち上がる。

 「ちょっと行って来ますね」

 「ああ。何か大切な話のようだな」

 朔が敦盛に、くすりと笑って言った。

 「祝言も済んでないのに、望美の着替えを見るのはまだ早いでしょう」

 ――すまない。着替えるならば最初に言ってくれ。

 

 朔の部屋へ向かった二人の背中を見送った後、敦盛は深く息をついた。

 祝言の日取りが決まってから、望美には告げられぬ事がある。

 ――幸せ過ぎるからこそ、言えるはずもない。

 膝上に座るスズが、気遣わしげに自分を見つめていた。

 

 「黒龍との祝言以来だから、これを出すのは三年ぶりね。もうあの頃の想い出に触れる事はないと
思っていたけれど」

 部屋の隅に、几帳に隠れる形で置かれた籠。つづら藤を編んで作られた籠の中身に、朔は懐かしげな
目を向けた。

 しわ一つなく折り畳まれた上質な婚礼装束。望美の世界で言う十二単だ。

 「望美、敦盛殿との祝言にはこれを着ていきなさい」

 「いいの?」

 驚く望美に、朔は籠の中の装束を取り出して床に置きながら。

 「ええ。私と黒龍の祝言は、同じ水無月でもあなた達より後だし。望美になら、この装束を
渡していいって思ったの」

 親友から託された想いに、心が温かくなる。一度愛する黒龍を失い傷付いた、彼女の痛みを知るからこそ。
望美は、胸にそっと手を当てた。

 「ありがとう。結婚式が終わったら、ちゃんと返すね」

 「本当に優しい人。私はあの人がいるからもう大丈夫よ。――じゃあ、試しに着てみましょうか」

 「うん、お願い」

 望美は薄い単一枚の格好になると、床に置かれた緋色の袴に足を通した。

 帯を結び、袴を身に着ける。朔が慣れた手付きで桜色の打着を被せた。

 婚礼の十二単は、さらに表着と唐衣を着るのが習わしである。けれど動きやすさと涼しさを優先し、
打着と裳だけに簡略化した。

 「望美、あなたならきっと大丈夫」

 純白を基調とした裳を望美の背に当てた朔が、ふと呟いた。

 「朔、どうしたの」

 「厳島神社で敦盛殿をずっと待ち続けられたくらい、あなたは強い。かつて消えた黒龍への想いを
凍らせてた私みたいにはならないって、そう思ってる」

 親友の言葉に、小さく首を横に振る。

 「朔が思ってる程、私は強くないよ。あの時「帰って来て」って願って信じ続けてたけど……敦盛さんが
いなくて、すごく恐かった」

 胸の痛みを抑えるように、襟元をきつく掴んでいた望美は、ゆっくりと顔を上げた。口元に、小さく
微笑みを浮かべて。

 「それでも敦盛さんは帰って来て、こんな私を望んでくれた。ずっと側にいて、私に出来る事をしたいんだ」

 ――それが敦盛さんと、自分自身との約束だから。

 裳を着け終えた朔に、自分の手が握られた。

 「あなたなら出来るわ。どうか、敦盛殿と幸せに」

 「うん。朔も黒龍と幸せになってね」

 親友の慈しみに満ちた祝福を受け止めて。朔の手を握り返し、望美は頷いた。

 

 障子が開き、朔と並んで望美がこちらへゆっくりと歩いて来る。

 上質な婚礼装束をまとったその姿に、敦盛はスズを膝上に乗せたまま、息すらも忘れる程に目を奪われていた。

 緋色の袴をはき、桜色の打着に、純白を基調とした裳。なんと鮮やかで美しいのだろうか。

 「敦盛さん、お待たせ。朔が私に結婚式の衣装を貸してくれたんです。その……似合ってますか?」

 「あ、ああ」

 スズがほめたたえるように一声鳴く。だが自分は、頬を朱に染めはにかむ望美に、ただ一言答えるのがやっとだった。

 「朔殿、私達の為にすまなかった」

 「お礼なんていいのよ。望美の幸せの役に立てたなら。黒龍、ちょっと散歩に行きましょう」

 黙ってやり取りを聞いていた黒龍が、琥珀色の瞳を驚いたように見開いて。

 「私は構わないが、彼らは?」

 「少し二人きりにさせてあげたいから」

 「わかった、行こう」

 黒龍は立ち上がると、敦盛にかすかに微笑んだ。

 「あなたが望美との幸福を願ったのは正しかった。それを忘れないで」

 朔の手を引き外に出た黒龍の、後ろ姿を見送った。

 一拍の静寂を挟み、望美がじっとこちらを見つめてくる。

 「お留守番になっちゃいましたね」

 「そうだな」

 なぜだろう。幸せなはずなのに、胸の奥が締め付けられたように苦しかった。

 「敦盛さん?」

 心配そうな望美の声に我に帰り、スズを床に下ろす。ほっそりとした肩に両手を回して、強く抱き締めた。

 「何でもない……大丈夫だ」

 言えなかった。今はまだ、この幸せを感じていたかったから。


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