「恋い願う」

 

 願っていた。

 自分の存在を成す陰陽の調和を、崩したくないと。

 儚き我が身を現世に繋いでくれる、愛しい望美の側にいたいから。

 永遠など、望むべくもないと思っていた。けれど――

 

 夜も更けた頃、敦盛はゆっくりと褥から身を起こした。

 「望美……」

 傍らで安らかな表情で眠る望美の頬に、つっと指を這わせる。

 ――この穢れた身と、永遠を約してくれてありがとう。

 額にそっと口付けると、自分の胸に手をやった。

 水無月に祝言を挙げた花嫁は幸せになる。誕生日の夜に望美が教えてくれた言い伝えと、交わした
永遠の約束を思い出す。

 昼間京邸で、望美は朔から婚礼装束を借り受けていた。この水無月の二週間後、熊野本宮で自分と
祝言を挙げる為に。

 桜色の打着と、純白を基調とした裳を身に着けて、優しく微笑む望美の姿が脳裏に焼き付いていた。

 叶わぬと思っていた願いが、手を伸ばせば触れられる距離にある。

 だが、それを無意識に恐れる自分が、心の内にいた。朔と幼い黒龍も、自分達を祝福してくれていたのに。

 今も胸の奥が、締め付けられたように苦しかった。

 うつむいて枕元に視線を落とすと、籠で丸まって寝ていた虎猫のスズと目が合った。

 針のように鋭く双眸を向ける彼に、首を横に振って答える。

 「わかっている。望美に告げねばならないと言うのだろう? だが、私は……」

 消え入りそうな声で呟いた時、望美が薄く目を開けた。

 「敦盛さん、どうしたんですか」

 「起こしてしまったか。すまない、眠っていてくれ」

 唇を固く引き結ぶ。心優しい望美を、困らせたくない。

 褥から起き上がった望美の手に、自分の手が包まれた。

 「お願い、教えて。敦盛さんの不安を、少しでも取り除きたいから」

 一拍の静寂を経て、敦盛は深く息をついた。

 「私が三種の神器で蘇った怨霊なのは、望美も知っているだろう」

 「陰陽が調和してるんですよね。でも経盛さんは、敦盛さんを想って」

 凛とした眼差しを受け止めて、敦盛は言葉を継いだ。

 「父上には感謝している。ただ、不確かなこの身を成す陰陽の調和は、今は安定していてもいつ
崩れるか知れない」

 「黒龍も敦盛さんに解放されて、龍と人に身を分けた後、朔の所に帰りました。もうこれから陰陽が
崩れる事はないと思います」

 ――違う、気の乱れという意味ではないんだ。

 重ねた手をほどき、敦盛は望美を抱き締めた。背中に回した両手が、小刻みに震えている。

 「あなたと祝言を挙げたいと、約した思いは本当だ。それが幸福で、幸せ過ぎるからこそ恐れてしまう」

 優しく包むようでいて、強く望美を掻き抱く。腕の中で望美が、低く呻いた。

 「敦盛、さん」

 「すまない……苦しかっただろう」

 腕の力を緩め、絹糸を思わせる髪に右手を差し入れる。

 「己を律し続けたとて、幸福な日々の中でいつか、兄上が仰ったような限界が来る日が恐いんだ。
あさましいな、祝言の前にこのような事を思うとは」

 髪を梳く手を、白いうなじに滑らせ――頬に唇を寄せてなお、胸を締め付ける苦しみは治まらなかった。

 望美がくれた、失った分以上の幸せ。それは自分の手の平に収まりきらぬ程大きく、温かい。

 傷付けてしまった罪を、許してくれた望美が愛しかった。守りたい、この身全てで。

 だが遠い遠い先、その幸せが我が身と共に消えてしまったら?

 脳裏で、何かが割れる音がこだました。それは幼い頃の自分が、大事にするつもりだった土鈴を
割ってしまった時に似て。

 胸を鋭く刺す痛みに、涙が一筋頬を伝い流れ落ちていた。

 ――涙の痕に、温かなものが触れる。柔らかな、桜色の唇が。

 「泣かないで……」

 透き通った、優しいささやき声。土鈴の音と同時、心地よく聞こえてきた。

 「私も、敦盛さんを失うのが恐いです。そうなったら、きっと耐えられない。でも、それでもね」

 望美の両手が自分の髪に伸び、ふわりと抱き締められる。ほのかに薫る、甘い桜の香。

 「こうやって、敦盛さんの存在を支えてる限り、陰陽の調和は崩れないってそう願ってる。敦盛さんが
私と結婚したいって言ってくれたのは、消えたくないって思ったからなんですよね」

 「ああ。あなたと離れたくない。永遠に、共に在りたいんだ」

 声を詰まらせながら、口にした願い。望美を恋うからこそ、希わずにはいられなかった。

 「うん……私も」

 望美は微笑むと、枕元に置かれた籠で丸くなるスズに横顔を向けた。

 「ほら、スズもよく言ってくれたって。もう寝ちゃいましたけど」

 望美に促され、敦盛はスズの方へ目をやった。

 先程自分に向けたとがめるような眼差しでなく、どこか誇らしげな寝顔。

 互いに視線を交わし、澄んだ碧色の双眸を敦盛は見つめる。

 「ふつつか者ですけど、これからもよろしくお願いします」

 「望美とならば、永遠の約束を守れる。いや、守らせてくれ」

 もう、恐れるものはなかった。この身は一人で律し続けているだけでなく、愛しい望美が支えてくれている
ものだから。

 この上なく幸せそうに微笑む、望美のうなじに両手を回したまま。濡れた唇に、愛しげに吐息と唇を重ねる。

 「ん……」

 幾重にも温かく触れ、頬から首筋を唇で辿った。

 唇を離し、ゆっくりと引き倒すようにして、望美の体を褥に仰向けに寝かせる。髪が羽衣の如く広がり、
その頬は朱に染まっていた。障子越しに射す、月明かりに照らされて。

 今は求めなくていい。ただ、望美を優しく包み込んでいたかった。

 敦盛は望美に覆い被さり、腕の中に深く抱き締めた。薄い夜着を通して、互いの微熱と高鳴る鼓動の
音が伝わってくる。

 「私達、ずっと一緒ですね」

 顔をこちらに向けてささやく望美。敦盛は言葉の代わりに、ほっそりとした首筋にそっと口付けた。


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