「七夕の祈り」

 

 透き通った夜色の空を流れる天の川。幾千幾万の蒼い星屑が煌めくそのほとりで。

 彦星――敦盛は妻である望美に寄り添い佇んでいた。

 人間達からは織姫という名で呼ばれる眩く美しき天女。一度は望美の父であり、天上の長たる
天帝に、自分と引き離されていた。去年の七夕までは、一年に一日しか逢う事が許されずにいたけれど。

 「やっと、一年間の祈りが終わりましたね。お父さんからも、敦盛さんとずっと一緒にいていいって
言ってもらえて、本当に嬉しい」

 「ああ」

 くすりと微笑んだ望美が、敦盛の胸へと頬をすり寄せてきた。絹糸を思わせる髪に指を差し入れ、
慈しむように梳く。

 去年の七夕に天帝から出された、望美と夫婦として離れず共にいるための条件。それは人間達が
七夕に梶の葉に書き記した願いを、一年間二人で祈り続け返礼する事だった。流星雨を降らせて、
幸いとして返す為に。

 人間達の願い。それは天の川の上流に根付く大樹へと、星屑に形を変え集結する。

 そこでただ、望美と共に祈っていた。一月の内二日しか休息の暇がない中で。

 無論、人々の願いに応えたいという思いもあった。だが一年に一日しか愛する望美と逢えず、
翌日には再び引き離され、逢えるまで一年の時を待たねばならぬ哀しみの繰り返し――それを
終わらせたいと希ったからこそ、天帝が出した条件を受け入れたのだ。

 ふわり、と肩に紗の羽衣が掛けられる。

 敦盛は物思いを止め、うつむいていた顔を上げた。

 「望美?」

 白い指に、つんと額をつつかれた。

 「お父さんに許してもらえたんだから、そんなに難しい顔をしないで」

 「そうだな……すまなかった」

 とがめるようでいて、どこか優しげな口調の望美に、そっと微笑み返す。白磁のようにすべらかな頬に
唇を寄せた。

 「敦盛、さん」

 「望美と、もう二度と離れたくない」

 温もりの残る頬に、穏やかに口付ける。応えるかのように、望美の白い指先が髪に伸びてきた。

 「うん。皆の為に祈ってる間も、今も、こうして敦盛さんと繋がっていられるから私は幸せです」

 ――望美との繋がりが絶たれぬように、いつまでもあなたを守りたいんだ。

 細い肩を優しく自分の方へ引き寄せ、望美が掛けた紗の羽衣に優しく包み込む。

 柔らかな唇に、敦盛は唇を重ねた。

 

 温かく触れた口付けの後。澄んだ翠玉の瞳を一心に見つめていた。

 こうしているだけで、望美と逢えなかった時間の空白が満たされる心地だ。

 「やあ敦盛に望美。天帝から、また一緒になる許しを頂いたそうだな」

 対岸から聞こえる陽気な声の主は、茶色と白が交ざった毛をした一匹の虎猫だった。まとうこげ茶色の
着物の背には、白地で猫を象った模様がほどこされている。

 ゆっくりと天の川を渡りこちらへ歩いてくる、彼の名はスズ。天帝の命を受け、人間達の願いが集結する
大樹を護り続けている。敦盛にとっては親しい友人だ。

 「こんばんは」

 「スズ、大樹から離れていても良いのか?」

 心配そうに尋ねると、スズは首を横に振った。

 「案ずるな、僕は君達に渡したい物があって来ただけだ。すぐに戻るさ」

 敦盛の目の前に立つスズが、すっと口に加えた何かを差し出す。それは、二枚の梶の葉だった。

 「また夫婦として離れず寄り添う事が出来たんだ。そろそろ二人も自分達だけの為に祈ってもよいだろう」

 スズは不敵に笑うと、首に提げた薄紫色の平包から墨と筆を取り出した。

 「気を遣ってくれてありがと。スズ」

 「構わない。では僕は失礼する。君達の祈りを大樹から見届けさせてもらうぞ」

 望美が微笑んで墨と筆を受け取ると、スズはくるりと自分達に背を向け歩み去った。

 敦盛の友として。また願いを見守る者としての誇らしさがその背中にはあった。

 ――ありがとう、スズ。

 友の後ろ姿を見送り、胸の内で呟く。

 「敦盛さん、筆をどうぞ」

 「いや、私はあなたが願い事を書いた後で使わせてもらう」

 「わかりました」

 望美が繊細な手付きで、梶の葉に筆を走らせる。

 頬を朱に染めた望美から、敦盛は筆を受け取った。自分が書き記した願いはただ一つ。

 「望美、私と共に祈ってはもらえないだろうか」

 頷いた望美の両手を取り、互いに目を閉じる。

 祈りに共鳴するようにして、梶の葉から濃紫色の淡く優しい輝きがこぼれ出した。

 輝きは鈴がなるような音を立て、天の川の上流へと昇って行った。敦盛は静かに目を開く。

 「スズの所に、私達のお願いは届いたかな」

 「ああ。きっと見てくれていると思う」

 自分が祈った事を、言葉にして望美に伝えたかったから。耳の下に、敦盛はそっと唇を押し当てた。
伝わる微熱を感じながらささやく。

 「望美と共にいつまでも幸せでありたい。それが私の願いだ」

 「ん……」

 笑みを浮かべる望美の柔らかな耳に、優しく口付けた。


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