「その痛みを包むものは」

 

 ――疼く胸の痛みが、敦盛に眠る事を拒ませていた。

 乾いた涼しい夏の風が、かすかに開いた障子の隙間から吹いてくる。おぼろ気でありながらも、
清麗な月明かり。

 褥に横たわったまま、敦盛に寄り添って眠る望美の無垢な横顔も、淡く照らされ美しかった。

 敦盛の背に両腕を絡めた体勢で、胸に頬を寄せる望美。薄い白単を通して伝わる、汗ばんだ
ためか少し冷えた望美の体温と、ほのかに薫る白檀の落ち着いた香が心地よい。

 敦盛は頬にかかる絹糸を思わせる髪を、愛しげに手で梳く。

 敦盛の心の臓がある辺りに、望美は頬を寄せている。自身の穏やかに脈打つ鼓動の中、
疼く胸の痛みを感じていた。

 ――それは祝言を挙げ、望美と結ばれたゆえの幸福過ぎる苦しみなのだろうか。それとも、
この穢れた身を裁かねばならないと思った――あの頃を思い出すからなのだろうか。

 望美の肩に回した両腕に、敦盛は無意識に力を込めていた。

 「敦盛さん……」

 望美が呻きながら、薄く目を開ける。

 その刹那に目を伏せた苦しさを感じ取ったのか。頬にそっと、柔らかな唇が触れた。

 「何があったのか教えて下さい」

 「痛みには慣れている……大丈夫だ」

 「発作の痛みですか?」

 絡めていた両腕をほどこうとする望美を、肩に手を置いて制した。

 妻になっても、望美は怨霊の発作が起きぬように、敦盛の為に祈りを捧げてくれている。
熊野本宮の時と同じように。

 優し過ぎる程に優しい望美が、祈ろうとしてくれるのを察したから。

 「発作は今は起こっていない。どうか、このままいさせてくれ」

 折れそうに細い肩を両腕で包み、優しく押し留める。望美が頷いた拍子に、白い頬が首に掛けた
銀色の鎖にとん、と触れた。

 「かつての罪を、思い出していた」

 「福原で話してくれた、私達が春の京邸で出逢う前の話ですか」

 「ああ」

 それは、怨霊の身を鎖で戒める前の事。

 発作による血の疼きと渇望に駆られ――怨霊の姿に転じ、人を殺めてしまった罪を、以前望美に伝えていた。

 それは闇の中、まるで悪夢を見るような感覚。だが逃れようのない真実だった。

 「白龍の神子による浄化を知らなかった頃の私は――この穢れた自身を裁いて、罪をあがなう他ないと
思っていた。これは福原では伝えられなかった事だな……すまない」

 口にした途端、胸の深い場所に鋭い刃物で抉られたような痛みが走った。かつての自分が、心の臓に
太刀を突き立てた時と同じように。

 「あの時将臣殿が、怨霊の私自身に立ち向かえと、私に仰って下さらなければ……私はあなたと出逢うより
先に、より多くの罪を重ねていただろう」

  声を、身体を震わせながら。敦盛は腕の中の望美を掻き抱いた。

 ――罪深きこの身。それでも許し、愛してくれた望美は、私の救いだ。

 頬に唇を寄せようと顔を近付けて。澄んだ翠玉の瞳が波立つ水面のように揺れ、うっすらと涙が浮かんでいる
事に気付く。

 「その時空には、私はいなかった。辛い思いをさせてごめんなさい。でももし私がいたとしたら、きっと将臣君と
同じ事を言ったと思うの。敦盛さんが自分で元に戻れるって信じてるから」

 涙交じりの声と共に、頬を伝い流れ落ちる小さな雫。痕を辿るようにして、ゆっくりと唇を這わせる。

 「んっ……」

 「望美が詫びなくてもいい。その後にあなたとめぐり逢えてよかった」

 痛みも苦しみも、この穢れた身さえも、望美は優しく包んでくれた。

 ――そんなあなたと永遠の約束を誓って、私は幸福なのだ。

 「うん、私も。結婚したからってわけじゃなくてもね、少しでも敦盛さんを満たしていたいの」

 木の葉に落ちる一雫の露を想起させる声音。ふと、艶やかな唇が柔らかく唇に触れてきた。

 目の端に涙を残したままの望美に応えるようにして、静かに呼吸を重ねる。

 伝わる微熱が、温かかった。触れ合う愛しさが心地よくて。

 ――望美はこの穢れた身を、血ではなくても穏やかな温もりで満たしてくれた。あなたに救われたと、
いつも想っている。

 淡い口付けを繰り返し、ほっそりとしたうなじに唇で触れる。

 すると、頬を朱に染めた望美がそっと敦盛の胸へと顔を埋めた。

 照れて赤くなった顔を隠すためかは知れない。だが先程鋭い痛みを感じた心の臓に、唇が
押し当てられていた。望美がまとう白檀の落ち着いた香が、心地よく薫る。

 「こうしていたら、痛くないですから」

 「ああ」

 胸の深い場所に優しく沁みる温もりに癒されながら。敦盛は腕の中の望美を、今一度強く抱き締めた。


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