「緋の散華、昔日の追憶」

 

 季節は巡り、霜月の頃。敦盛は望美と虎猫のスズを伴い、厳島の紅葉谷を訪れていた。

 冷たさを宿した風に吹かれ、黄金色に輝く凪の海を想起させるすすき野原が、手招く
かのように揺れる。かつて八葉でなくなった日。怨霊の性で望美を傷付ける事を怖れ
離れた自分を、望美が迎えに来てくれた場所だ。

 ――あなたと祝言を挙げた後、またここに来たかった。あの時独り佇んでいた私に
それを想い出したかったから、などと言ったなら望美はどう思うだろうか。

 敦盛はスズが入った竹製の籠をそっと傍らに置いて、一輪の彼岸花を胸に抱く
望美へ視線を向ける。

 穏やかな優しい光をたたえた翠玉の瞳を、祈るように閉じるその横顔。茜色の
夕陽に照らされて、眩く美しかった。

 望美の温かな手に自分の右手を重ね合わせ――むせび泣くような風に身を委ねていた。

 すすき野原に緋の彩りを添え、咲き乱れる彼岸花の甘く目眩を誘う香りが、風に乗って
運ばれて来る。

 その香りに呼び起こされたのは――怨霊として蘇る前、黄泉の国とも呼ばれる彼岸に
いた、孤独と哀しみを宿す記憶だ。

 光も、温もりさえも届かぬ暗闇の淵で、独り永い永い輪廻を待つだけだった自分。

 ――八葉から解かれた時、宝玉がないこの身は、あの闇へ帰らねばならないと
知っていた。それでも、帰りたくはなかった。

 愛しい望美の側に在りたいと。恋い、希い続ける温かな想いが我が身を現世に
留めていたから、迎えに来てくれた望美を拒む事など出来なかった。

 望美の手を包むようにして握り締める。胸の奥をよぎる、温もりを伴う痛みをしまい込むように。

 望美が祈りながら彼岸花の花びらを風へと流す散華を、敦盛はただ寄り添い見守っていた。

 風に舞い踊る緋の花影と重なるように――

 照り付ける黄昏の残照が、過ぎ去った幼き日の影を映していた。

 ――これは、私の中にある追憶が見せる幻か。

 十年以上も前の幼い自分が、うずくまった格好で泣いていた。薄紫色を基調とした、
仕立てのよい水干と袴をまとった姿。

 ――ああ、そうだ。かつて一問の皆で紅葉を愛でに出掛けた時、兄上や皆とはぐれて
独り心細い思いをしていた。

 幼い自分は経正の名を呼び、ただ声をあげて泣き続けている。泣いて泣いて、泣き疲れた頃に。

 経正が柔らかく優しい声で手を差し伸べ迎えに来てくれる姿を、緋の散華の中に確かに見た。

 やがて吹き荒れる風が、緋の花びらを天へとさらって行った後には――目の前にあった幼き
頃の影は、溶けるようにして消えていた。

 望美も同じ光景を見たのかは知れない。けれど震えながら敦盛の背に両手を絡め、胸に
顔を埋めていた。

 折れそうな程細い身体を包むように抱き締め返し、絹糸を思わせる髪に口付ける。彼岸花の
甘い残り香が、まだ淡く香っていた。

 ――胸の奥が、また温かく疼く。なぜだろう、先程見た追憶が、八葉から解かれ望美の元を
去った私を、あなたが迎えに来てくれたあの日と重なる。

 微熱を帯びた頬に唇で触れて、敦盛は問い掛けた。

 「望美。八葉でなくなりあなたから離れながらも、側にいたいと願い続けた私は、
幼子のようだと思うか?」

 望美が顔を胸に押し当てたまま、ゆっくりと首を横に振った。

 「思わない。私を望んでくれた事はわがままなんかじゃなくて、尊い願いだと思うから」

 顔を上げた望美の微笑みは、先程追憶に見た経正のそれにも似た優しい笑顔だった。

 「私が迎えに行った時、一緒に帰りたいっていった理由はね。私が敦盛さんの帰る
場所でありたかったからなの」

 「ああ。あなたが私を現世に留めてくれたように、私も望美を独りにはしない」

 「敦盛さんの居場所はここですよ。どうか、忘れないで」

 桜色のつややかな唇が、なめらかに言葉を紡ぐのを読み取って。敦盛はそっと、
自分の唇を重ねた。

 ――どうか永遠を誓い、幸せを紡ぐ今が失われぬように。それが風に溶けそうな程、
儚い願いだとしても。


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