「優しき御手、重ねて共に」

 

 ――もう、誰かを傷付けたくなかった。だから、人との関わりを閉ざしたはずなのに。

 発作で疼く腕の苦痛とは源を異にする、胸の温かい痛みは何だ。

 ――苦しみを抑えるのには慣れている。だが、あなたにこの願いを伝える事は
罪だろうか。

 

 平家一門が居を構える六波羅の邸。その離れに佇む塔で。

 階下からこちらへ上がってくる二人分の乾いた足音が、淀んだ意識の片隅で木霊する。
中の牢にいた敦盛は、膝に埋めていた顔を持ち上げた。

 兄経正に伴われて歩いて来る少女は、白き龍に選ばれた白龍の神子。清浄なる龍神の
力で怨霊を浄化出来る、唯一の存在だ。

 ――だが望美殿は私を清めず、この穢れた身に立ち向かう道を共に考えてくれた。

 牢に入るのも、望美と決めた事。これ以上罪を重ねぬ為、人と逢わぬはずだった。けれど
彼女だけは許している自分が、心の奥にいる。

 やがて足音が、自分がいる牢の丈夫な木格子の手前で止まった。ゆっくりと二人の側まで
歩み寄る。

 「敦盛さん、発作の具合はどうですか?」

 「ああ……先刻少し腕が疼いていたが、今は治まっている」

 我が身を縛る、銀の戒めの鎖。それは怨霊の力を制御する為に、経正が宋の職人に頼んで
あつらえてくれた物だ。この鎖に抑えられているおかげで、何度か小さな発作が起きながらも
人の姿を保つ事が出来ていた。

 「では神子殿、この子を頼みます」

 望美に向けられた兄の瞳は、強き意志の光を宿していた。経正が望美に礼儀正しく会釈して
去ってゆく。

 だが、その去り際に――

 「すまない……敦盛」

 小さく呟かれた兄の言葉に、敦盛はあえて聞こえぬふりをした。

 ――どうか、詫びないで下さいませんか。黄泉の国から現世に引き戻して頂いたからこそ、
兄上や望美殿に逢えたのですから。

 ややあって、望美が木格子の中へ両手を差し伸べてきた。

 雪を思わせる、透き通った美しき救いの御手。導かれるかのようにして、自分の両手を
重ね合わせていた。

 温かい。胸の奥で鼓動が高鳴っている。

 触れるなと拒めなかった。穢れた獣の姿を知っても目を背けずにいてくれた、大切な人。

 乾いた花に水が与えられるようにして、清らかな温もりを宿す気がこの身に沁み渡るのを
感じた時。

 一筋の涙が、頬を伝い流れ落ちていた。

 「泣かないで……私は、側にいるから」

 天上の鈴を想起させる声と共に。両手が優しく頬に押し当てられる。

 唇を重ねられそうな程まで、無意識に木格子を通して互いに身を触れ合わせていた。

 「すまない、望美。人を傷付けぬ為に牢に入ったのは私自身の意思だ。なのに、牢越しにしか
あなたに触れられぬ事に寂しいなどと思ってしまった」

 ――こんな矛盾した願いを抱くなど、あさましいな。

 「私は、敦盛さんに逢えるだけで十分。こうして少しでも温もりを感じていられるから」

 柔らかな手が、涙の痕をそっと拭う。敦盛は牢から両腕を差し出して、望美の細い肩を
包み込むように抱き締めた。

 ――せめて今しばらくこのまま、望美と離れずにいたい。

 儚げな背を、ゆっくりと撫ぜて。口付けるかのようにして、木格子越しに唇を触れ合わせる。

 微熱を帯びた吐息が重なるのを感じながら、言葉を紡いだ。

 「血を願い、罪を重ねた身でも、望美と共に在りたいと希ってしまうんだ」

 ――あなたがいてくれるなら私は、この穢れた自身をきっと乗り越えられる。


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