「風の行方」

 

 歌うように吹き抜ける心地よい微風が、網戸越しに伝わってくる。

 庭に面した、開け放した窓の側で。畳の上に膝を丸めた格好で横たわる望美の手を握り、
敦盛は風に身を委ねていた。

 ――透明な、形無き風。私はまだ、あの中に溶けずに望美の側にいる。

 揺り籠で眠る赤子を想起させる姿で微笑む望美。愛しむ想いそのままに、少しひやりとした
頬を撫ぜると望美が子猫のように目を細めた。

 「すまない、こそばゆかっただろうか」

 「ううん。敦盛さんの優しい薫りが伝わってきて落ち着く。前に熊野でお香の話をした
時と同じ、清々しい匂い」

 敦盛は畳に手を付き、添い寝するように望美の傍らで横になる。

 望美の世界に一緒に来た後もなお、敦盛は香を毎日その身に焚き染めている。それは、
自分の内に在る穢れの匂いを隠す為に。

 ――けれど望美は、私が許されざるモノと知ってもなお、まとう薫りを在りのままに
受け止めてくれる。

 優し過ぎる程に優しく、愛しい人。三草山で勾玉の欠片をくれた時から気付いていた
望美には、隠さなくてもよかったのが救いだったから。

 首筋に顔を押し当ててくる望美。敦盛はつややかな髪に口付けてから、こめかみの辺りまで
ゆっくりと辿った。

 鼻先が、唇が髪に触れる度に、甘い香がほのかに薫る。

 「だが私は、望美の柔らかな薫りの方が好きだ。経正兄上が焚いてくれた、発作を鎮める香の
ように……かぐわしく心安らぐ」

 望美の香は、透き通った水にも似て清らかで、甘やかな芳香。凪のように鎮まる心の、
深い深い所に在る愛しさを疼かせる。

 「うん」

 首筋が、微かに熱い。鮮やかな朱に染まった顔を胸に埋めてきた、望美の頬の温もりが
まだ残っているからだろうか。

 微風が、吹いた。しっとりとした薫風を吸い込むと、愛しい人の残り香が確かにそこに在った。
澄んだ真水にたゆたうかのような、安らかな心地。

 「この風は、どこへ行くのだろう。いつか現世に溶けるのは、私と似ているのかもしれないな」

 敦盛の移り香に、翠玉の瞳をとろりと微睡ませていた望美がそっと微笑む。

 「通り過ぎてるように見えても、側で私達を包んでくれてると思います」

 「そうだな――」

 ふと、柔らかな唇に、唇を塞がれた。一瞬、微熱が交差した後に。

 「敦盛さんは、風じゃないから……どこへも行かないで」

 「ああ」

 ――離れたくない。あなたに移した残り香が、風に消えても。

 優しく唇を重ね返すと、花の蜜のような甘やかな匂いが少し強く薫った。


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