「夢でもあなたを想う」

 

 ――叶う事なら私は、ゆきさんの八葉になりたかった。

 かつて秋吉台で、彼女にそう告げた覚えがある。だから夢の自分は、ゆきの八葉
なのだろうか。今は陽炎である我が身の、叶わなかった願いが見せる憧憬。

 愛用の鉄扇に、春の陽だまりを思わせる温もりを宿す白い輝きが注ぎ込まれる。ゆきが
怨霊を浄化し、武器に封じた時に顕現する清浄なる五行の光だ。

 鉄扇の柄に触れるゆきの白い手を取り、細い身体を抱き寄せる。五行の光と同じ温かな
光が、身体の心まで伝わるのをマコトは感じていた。

 ゆきと触れ合う生身の身体も、八葉の証たる宝玉も。

 皆、陽炎の自分には望む事が許されぬと、とうにわかっている。それでも、優し過ぎる程に
甘いこの夢に浸っていたかった。

 夢の自分が、ゆきの耳元に唇を寄せてささやきかける。

 「守りたいと願う意志は、あなたの為に。もう少しだけ離れずにいて下さい」

 ――ああ。幻のように儚い夢でも、ゆきさんの温もりは私を救ってくれた時と同じだ。

 

 雪が溶けるかのように、意識がゆっくりと覚醒してゆく。

 かすかに目の淵に涙を残したまま、マコトは自室で目を覚ました。

 「夢……か」

 こちらが恋うばかりでなく、相手が自分を想ってくれている時その人が夢に現れるという。 
優しく幸せな夢だった。

 陽炎になった為に、龍神から授かった天の朱雀の任がチナミに移った事には恨みや
憤りはない。現にチナミは誇りにすら思える程に、自分の願いを継いでくれた。

 なのに、なぜまだ涙が溢れてくるのだろう。

 「八葉に未練はないと、思っていたのにな」

 指先で小さな雫を拭い、傍らの褥で眠るゆきの頬をそっと撫ぜる。無垢で無防備な
その姿が、愛しかった。

 日光に邸を構える藤田家。ゆきと都、八葉達が天海を倒した後、彼らはこの邸を拠点にして
日々を過ごしていた。薩長同盟を結び、来るべき大政奉還を成す為に。

 柔らかな頬に触れる自分の指先に視線を向ける。

 脳裏をよぎるのは、秋吉台でゆきに命のかけらを分け与えられた時の事。彼女が口にした、
どこか哀しげで凛とした言葉だった。

 

 「私は、マコトさんとチナミくんを分け隔てたくない。これはね、神子としてじゃなく私自身の
意思。もし私の力で、マコトさんを浄化せずに助ける術があるのなら、何とかやってみる。
白龍には、ちょっと怒られるかもしれないけど」

 

 ゆきにも、兄妹同然に育った瞬がいる。だからこそ彼女は、兄弟の絆を自らの手で分かつ
哀しみを誰よりも知っていたのだろう。

 清らかな祈りで血の渇きを取り除かれ、命のかけらで留められる――そのおかげで陽炎の
身は変わらずとも、こうして姿を保つ事が出来ていた。

 秋吉台でゆき達と刃を交えた時程の、疼きと苦しみはもう感じない。だが別の痛みが、鋭い
棘となって心の奥に残っていた。

 「同じ明日に在りたいと願う人の命で永らえる。あさましいが、それでもゆきさんの側にいたい
想いを抑えられないのです」

 ――たとえ私が、もうこの世の者ではないとしても。

 と、透けるように白い手が頬に伸びてくる。ゆきが褥からゆっくりと身を起こし、どこか困った
ように微笑んでいた。

 「泣かないで……あの時命を削ったのを、私は後悔してませんから」

 何も言えなかった。ただ愛しさが疼くままに、ゆきの折れそうに細い身体をかき抱いていて。

 「ならば、守らせて下さい。あなたの八葉になれなかった私でも、どうか側に」

 「はい」

 頷いたゆきの唇に、そっと唇を重ねる。心の奥に残った棘は、さらさらと音を立てて消えていた。

 

 どれ程の間、幾重にも触れ合っていただろうか。

 「ゆきさんの誕生日というのに、起こして付き合わせてしまいましたね。そろそろ休まないと、
身体に障ります」

 唇を離し、壊れ物を扱うかのようにゆきを褥に横たえる。生まれた日を祝う彼女の世界の
習慣は、以前ゆきやチナミに聞いていた。

 「ううん。マコトさんが寝るまで起きてます。さっき幸せな夢を見たから、独りにはしないで
下さいね?」

 唇に指先で触れながら、悪戯っぽく微笑うゆきに思わず苦笑がこぼれてしまう。

 ――本当に、強情な人だ。それでも、先刻の私と同じ夢を見てくれていたのか。

 ふっと吐息を漏らし、マコトは外の風を入れに障子を半分程開け放った。

 さやかな黄金色の満月に照らされた庭では、可憐な鷺草の花が乱れ咲いている。のんびりと
した足取りでマコトは庭に降り立ち、頭上の月を仰いだ。

 「穢れた身の私は闇で、ゆきさんは月だ。儚いようでいても優しく強い光で、私達を導く」

 提げていた鉄扇を開き、ゆっくりと満月に向かって水平に差し伸べる。それは、まるで清らかな
光を抱き寄せるかのように。

 ――かつて、怨霊でありながら八葉になった者もいると龍神にまつわる伝承を紐解いた
覚えがある。彼もまた、神子に恋い焦がれた事があったのだろうか。

 優雅な所作でふわりと鉄扇で月明かりをすくい上げ、再び腰に提げる。即興の舞を、庭に
降りてきたゆきは慈しむような眼差しで見つめてくれていた。

 「私が望む明日は、マコトさんが隣にいてくれる未来ですよ」

 月明かりに溶けそうな程に透き通った微笑みは、マコトには眩しく美しかった。

 すぐ側まで歩み寄り、白単姿の細い肩に朱色の陣羽織を着せた時。マコトの頬を、温かな
雫が伝い流れ落ちた。

 「ゆきさん。今この時は、先刻見ていた夢の続きでしょうか?」

 ゆきは首を横に振り、白い手を頬に押し当ててきた。

 涙を拭い取られた後。絹糸を思わせる髪に鷺草を一輪挿して。

 「夢ではない証に、これを。誕生日おめでとうございます」

 胸に顔を埋めるゆきの額に、マコトは柔らかく証の口付けを落とした。


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