「闇夜に浮かぶは命の灯」

 

 ――あなたが私にくれる清らかな微笑みを、ずっと留めておきたかった。その笑顔は、
幸せを識る愛しい一欠片なのだから。

 

 夜も更けた熊野川。夏の終わりを告げるかのように、鈴に似た虫の音が静寂に響く。

 澄んだ川面の水鏡に浮かび上がるかのようにして。魂の輝きに似た、幾百もの蛍が
飛び交っていた。

 水面に小さな白い花を一輪手向け、ほとりに立つ敦盛の掌に儚げな光の一片が
舞い降りる。

 ――お前も、在るべき場所を探していたのか?

 蛍は答えなかった。居心地よさそうに、掌で微動だにしない。

 この蛍も、自分と似ているのだろう。どこかで救いと安らぎを求めていた、魂の
一欠片。生き人と死人が交わる隠区の熊野では、不思議とそう思えた。

 自分はすでに、生き人と同じ命なき怨霊の身。けれど、愛する人への想いで
存在が留められる今が愛しかった。

 瞳に映るのは、浅瀬に白い素足を浸したままじっと佇む望美の背。

 ――行くといい。お前を、待つ者達の所へ。

 そっと指で背中を押してやる。蛍は名残惜しそうにおぼろげな光の余韻を残して、
群れの中へと飛び去って行った。

 後を追うようにして川岸に近付くと、望美が顔をこちらに向けた。

 浄化の光を見送る時に似た哀愁と慈しみが入り交じった微笑みから――曇りなき
水鏡のような、澄んだ笑顔へと。

 「美しいな。あなたが数多の魂を想うよりも、穢れなき笑みに寄り添える私は、何と
幸福なのだろうか」

 翠玉の瞳と視線が絡み合った時。つややかな唇に、口付けを落としていた。

 「ん……」

 唇を離し、熱を帯びた顔を仰のかせた望美の頬に両手を押し当てて。

 「だったら、敦盛さんも一緒に笑っててくれる?」

 「ああ」

 微笑いながら愛しむように、紅潮した頬を撫ぜる。

 幾百もの蛍火を眺めていると、彼岸にいた頃の記憶が思い起こされる。父経盛の
手で怨霊として蘇るまで、現世を独り見つめるだけだった。

 「望美。私達がめぐり逢えた事に、神子と八葉の繋がりが作用していたかは今でも
はっきりとは知れない。それでも惹かれ合えて、よかった」

 ――怨霊の性で傷付けるのを恐れたとて、拒みきれぬほどにあなたを愛していたから。
私は優しい小さな鈴の音と望美の温もりに、とうに繋ぎ止められている。

 望美が静かに首肯した声は、密やかな吐息となって宵闇にこぼれた。上気した首筋に
唇で触れて、ささやきかける。

 「離れたくないと希う限り、私たちはずっと共に在る。だから、どうか側で笑っていてくれ。
望美がくれた笑顔の分、幸福を捧げたいんだ」

 「うん。幸せは、敦盛さんと半分こですよ」

 涼風に吹かれ、命の灯が笑いさざめくかのように踊り出す。蛍の幻灯に照らされたその
微笑みは、限りなく美しく澄んでいた。


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