「儚き夢より」

 

 ――それは、かつて幾度となく感じた怨霊の獣の姿に転ずる悪夢に似た感覚とは違っていた。

 無色透明の光に満たされた、澄んだ凪の海を思わせる空間。そこに流れる星屑に似た煌めきは、
望美が夜毎清浄な祈りで伝えてくれる清らかな光と同じだった。春の陽だまりを想起させる温もりで、
この穢れた身を包み込む。

 そこにただ、敦盛は独り身を委ねていた。

 ――ああ。私が心の内でずっと願っていた夢だ。夢は夢でしかないと知っているはずなのに……
なぜこんなにも愛しみを感じてしまうのだろうか。

 輝きの一片に手を伸ばした時、望美が薄く透き通った姿で微笑い掛ける。抱き締めたその時、
目から小さな涙が目の淵を伝い流れ落ちていた。光の粒と交わり、融和するように融けてゆく。

 それは、このまま光へ消える事が正しいと――苛むかつての己の声が聞こえていたからだろうか。

 違う。優しく優し過ぎる夢に、胸の奥を戒めていた鎖の綻びが音を立てて外れるのを感じていたから。

 

 「敦盛さん、起きて」

 

 空間に沁み渡る、鈴を鳴らしたような声。まるで揺り籠で眠る赤子へ聴かせる響きにも似た柔らかな
響きに、敦盛の意識はゆっくりと覚醒していった。

 

 庵の縁側。微風が庭の桜を揺らせる音が、やけに大きく耳に響く。どうやら自分は、柱に寄り掛かった
体勢でいつの間にかうたた寝をしてしまったらしい。

 まだ、目の奥が熱かった。涙が乾ききらぬ頬に残る小さな雫を察したのか、望美がすべらかな手を
頬に押し当ててくる。わずかに冷えた手に宿った温かさが、愛しかった。

 「大丈夫……? 嫌な夢を見てたのかな」

 「いいや、むしろその逆だ。望美が案じる事はない」

 きょとんとした風に目を瞬かせる望美。両手を握り締め、敦盛は白い額にそっと唇で触れた。

 「あ……」

 「望美自身であるかのような優しい光に身を委ねる、幸せな夢だった。こうしてあなたの温もりを
感じていられるから、今なお私は夢路の続きに在るのかもしれない――」

 額から頬に唇を移し掛け、ためらうように小さく首を横に振った。

 「だが、いずれ忘れねばならないのだろう。先程の夢は、私の愛執を映したに
過ぎないのだから」

 ――すまない。それでも私は、あなたを愛している。

 胸の内で呟き、頬に、唇に口付ける。

 望美のつややかな唇から漏れた吐息を、風が運んでいった。

 夢もこの身も、不確かなモノだとわかっているはずなのに。穢れた身の芯に未だ宿る熱は、
焦がれるように熱かった。

 とん、と胸に響く小さな衝撃。望美が敦盛の胸に顔を埋めてささやいた。

 「お願いだから、夢を忘れてしまわないで」

 しっとりと濡れた唇が、涙が乾き始めた頬に触れてくる。

 「――望美」

 「だって、この世界で夢は相手がその人を想う時、大切な人が夢に出てくるんでしょ? 夢でも
今でも、私は敦盛さんが大好きだから。どうか夢で私がそこにいた想いの証を、消して
しまわないで」

 「そうだな……すまなかった。やはり私は忘れる事は出来ない。たとえこの胸が疼いても、
夢と現にあなたが側にいてくれるのが愛しいからこそ、失いたくないんだ」

 翠玉の瞳と視線を絡め合い、唇を重ねた。微風が凪ぐまでの間、温もりを確かめるようにして。


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