「小さな甘き追憶と」

 

 ――あれは、いつの事だったろう。

 蓮水家にあるゆきの自室。瞬はベッドに座りながら、膝上で眠るゆきの髪を慈しむように撫ぜ――
瞑目するように静かに瞳を閉じた。

 幼い頃、ゆきにせがまれて童話を読み聞かせてやった時の事だ。お菓子の家に、小さな兄妹が
迷い込む話。

 

 「しゅんにい。私もおかしのおうちにすみたい。おかあさんに私にしゅんにい……都おねえちゃんに
祟くん。みんなが入れるくらいの大きなおうち」

 「悪い魔女に捕まってしまっても知りませんよ」

 わざと冗談めかして言うと、ゆきは無垢な笑顔で微笑い返してきた。

 「でも、しゅんにいと一緒だからこわくないもん」

 ――本当にあなたらしい、と返した覚えがある。それは今も変わらないのだろう。ゆきを苦しめる原因の
一端を作った悪い魔女は、俺だったというのに。

 

 追憶を断ち、瞬はゆっくりと目を開ける。

 部屋のアンティーク調の掛時計は、すでに午前零時前を指していた。時計が小刻みに時を刻む
音の中――安らかに聴こえるゆきの寝息が愛しくて。

 「ゆき。あなたはきっと「命を削ったのは私の意志だから、瞬兄は悪者なんかじゃない」などと
答えるのでしょうね」

  瞬の膝に顔を埋め、安心しきったように眠るその表情はまるで幼い頃のようだった。

 ふと自分もあの頃に戻ったような錯覚を覚え、桜色の髪に愛しげに指を滑らせると、ゆきが
呻きながら薄く目を開けた。

 「起こしてしまいましたか、すみません」

 「ううん。私が勝手に起きちゃっただけだよ。でもね、時空を遡って命を削ったのは
本当に私の為にした事だから、瞬兄は何も悪くない」

 膝上から起き上がったゆきを、そっと胸の中へ包んだ。

 「本当にゆきは困った人だ。そう言われると俺の立つ瀬が無くなってしまうから、
少しは償わせて下さい。そして、これからも同じ未来を歩む事が許された幸せを、
共に感じて行きたい」

 頷いたゆきの頬に、瞬は小さく口付けを落とした。

 

 「少し、ゆきに見せたい物があります」

 そう言って瞬がゆきを伴って階下のキッチンへ降りた時には、すでに日付が変わっていた。

 冷蔵庫の前に立ち、深く息をつく。

 「瞬兄、夜中につまみ食いはよくないよ」

 「俺をいくつだと思ってるんですか」

 ゆきに突っ込みを入れるのもそこそこに、冷蔵庫のドアを開ける。中に入っていたのは、
童話に出てくるお菓子の家を皿に乗る程度まで縮尺したような――文字通りの
お菓子の家だった。

 カステラで家の基礎が作られ、屋根はココア味のクッキー。ホワイトチョコレートの外壁に
守られ、屋根の上に色取り取りの金平糖が雪を想わせるように散りばめられている。

 「うわあ……美味しそう」

 陶然と呟くゆきに、瞬は顔が妙に熱くなるのを感じていた。

 「ほら、見たなら早く閉めて下さい。電気の無駄です」

 「わかった」

 ゆきが冷蔵庫の扉をぱたりと閉めた後――とっておきの答えを思いついた子供のような、
無邪気な笑みを返してきた。

 「可愛いお菓子のお家……瞬兄、私が小さい時童話を読んでくれた事、覚えててくれてたんだね。
皆で住む程大きいのは冷蔵庫に入らないけど、それでもすごく嬉しい。明るくなったら、
一緒に食べよ?」

 「ええ。俺にとっては忘れられない想い出ですから。それにしても、明日が来るのを喜べるのは
本当に愛しい事ですね。そこにあなたがいるから、なおさらに」

 そっとゆきの額に唇で触れる。願わくば、自分は愛する人を悪い魔女から護る者でありたいと
祈りながら。

 


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