「悲想夜――誓い――」

 十二月二十四日。

 クリスマスツリーの灯りで、煌びやかに彩られたショップエリア。

 何十本にもわたって設置されたツリーから、眩い光がこぼれ、天井からの星明りと

調和した清麗なコントラストを織り成している。

 ショップエリア二階へ差し掛かる階段の踊り場から眼下の景色を見下ろし、

六花の唇からため息が我知らずこぼれていた。

 「罪深い私には、相応しくないな」

 皆が笑いさざめく場を祝福するように照らす、温かな光は。

 分かっている。戦場に身を置くものとして、らしくない事くらい。

 だが六花にとって、十二月二十五日はどうしても忘れる事が出来ない日だった。

 ふと、階段を足早に駆け上がり、こちらへ向かってくる少年の姿に六花は視線を向ける。

 それは、自分の義弟にあたる蘇芳だった。

 「義姉さん」

 蘇芳が六花の前に立ち、赤と緑のツートンカラーで彩られた包装紙にくるまれた小箱を差し出した。

 「これ、義姉さんに――」

 蘇芳が言い終わるのを待たず、背を向けた。

 「すまない。鍛錬で疲れている。後にしてくれ」

 手元の端末を操作し、マイルームへの転送システムを起動する。

 転送トンネルの中で、六花は目を閉じ自嘲気味に微笑った。

 ――我ながら下手な嘘だな。蘇芳の好意すら無にしたこの身は、やはり愚かだ。

 古式めいた洋館を思わせる部屋の暖炉上に置かれた、
木製のフォトフレームに入った写真を六花は見つめた。

 研究者用の白衣を羽織り、揃いで簡素なシャツとスラックスを着た、
優しげな雰囲気のデューマンの男女が写っている。

 年の頃はどちらも三十代後半だろう。瞳はどちらも左が碧、右が桜色のオッドアイ。

薄紫色の長髪をした女性は桜歌。金色の短く刈った髪の男性はミナトといった。

六花と星花の両親で、蘇芳から見ると義父母にあたる。

 六花は写真から目を逸らすと、ベッドへ崩れ落ちるように倒れ伏す。意識が、深い深い闇の中へ落ちて行った。

 夢を通して蘇ったそれは、六花が幼い頃の十二月二十五日の記憶だった。

 六花、星花、蘇芳が生まれ育った、市街地の外れに位置するデューマンの研究プラント「D-0」。

 プラント全域が業火に炙られ、ダーカーの侵食を示す血色の霧が立ち込めている。

 隔壁を下ろした避難シェルターで。

 互いに身を寄せ合いながら、震える星花と蘇芳の頭を、六花は優しく撫でた。

 「大丈夫だ。父上と母上もすぐ戻って来る。“アークスの人達連れて来るから待ってて”と言っていただろう」

 星花と蘇芳はそれきり押し黙り、泣き声すらも立てぬよう息をひそめた。

 ダーカーの咆哮と、激しく隔壁が幾度も殴り付けられる音。

硬質の物が噛み砕かれる音が合わさり、狂った三重奏となって幾重にも反響した。

 フォトンコーティングが施された避難シェルターの隔壁とて、磐石の楯ではない。

耐久限界を超えれば、薄皮一枚よりも容易くダーカーに壊されるだろう。

 六花、星花、蘇芳が耳を塞ぎ、強く強く目を閉じる中――

 

 二つ分の、肉質の物が貫かれる音。

 先程までとは異なる音に、六花が目を開けた時だった。

 隔壁が巨大な瓦礫と化す破砕音と共に、外の通路があらわになる。

その凄惨な光景に六花は声を出す事すら忘れ、凍り付いたように動けなくなった。

 ダーカーの群れに取り囲まれるようにして倒れていたのは、六花達を避難させたはずの、母桜歌と父ミナトだった。

 二人の護身用のウォンドとアサルトライフルは、

すでにスクラップとなり桜歌とミナトの周囲に散乱している。互いに抱き合った体勢で倒れている二人。


  

 だが、目の前の「ソレ」は、もはや六花達が知る両親の形をしていなかった。

 
  

 二人の左半身は、黒曜石に似た鱗状の硬質の皮膚で覆われ、身に付けていた衣服と白衣は跡形もなくなっていた。

成人男性の三倍程に膨れ上がった左腕と左足の先は、猛禽類に似た大きな鉤爪状へ変質。

激しく脈動を繰り返す左の掌からは、滝を想起させる程に血がとめどなく流れ落ちていた。

そして、在るべき心臓は互いにそこになく、貫かれたかのように巨大な空洞が出来ていた。

 桜歌とミナトの姿を直視する六花が、込み上げる吐き気に口元を押さえうずくまる。

 六花の背後で、星花と蘇芳が目を開け、桜歌とミナトへ顔を向けていた。

 「二人共、見ては駄目だ」

 唇を強く噛み、吐き気を無理やりに抑え付け――かろうじて六花が振り絞った声は、遅過ぎた。

 星花と蘇芳は涙を流しながら、ただ立ち尽くしている。

 「ああ……死ねないんだ、この身体。子供達にだけは、見られたくなかったのにな」

 哀しげに響く澄んだ声。それは、六花達が知る母桜歌のものだった。

 直後、倒れていた桜歌がゆっくり起き上がり、おぼつかない足取りで、六花達の所へ向かってくる。

空洞が出来た心臓から血が滴り落ち、地面に赤い染みを幾重にも浮き上がらせた。

 「駄目でしょ、勝手に動いちゃ。アークスの人達連れて来るから待っててって、

母さんも父さんも言ったよね? まったく、腕白なのも困り者ね」

 桜歌の背後では、ダーカーの群れが桜歌に従うように動きを止めていた。

 空洞になった桜歌の心臓にあたる場所から、目の形をした青白い侵食核が、 芽が出るかのように伸びていた。

 「まあ、そう言うなよ桜歌。この子達に心配掛けたのは、事実なんだから」

 桜歌の背後から、実直そうな若い男性の声が響く。

 倒れていた父ミナトもまた、心臓が空洞になり左半身が異形へ変じた姿のまま、六花達へ

歩みを進めていた。その胸からも、桜歌と同じ侵食核。

 桜歌が、くすりと微笑む。顔の左半分は醜く歪み、口腔から龍族のそれに似た巨大な牙が覗いていた。

 「そうねえ、ミナトが言うならしょうがないかな。もう一回、私達が自分の命を絶っても――」

 その言葉と同時に、桜歌とミナトの左腕が膨張する。自在槍を思わせるしなやかさで湾曲し、

轟音を従え――桜歌とミナトの周囲にいたダーカーを微塵もなく切り裂いた。

 桜歌とミナトの鉤爪は暴風のように通路を荒れ狂う。互いの矛先は、桜歌とミナト自身の身体と、侵食核だった。

 両親の返り血を真正面から浴び、六花の口から声なき叫びがこぼれた。

 桜歌とミナトの侵食核の欠片が、激しく脈打つ 。床に飛び散った侵食核の欠片が、

桜歌とミナトの空洞になった心臓へ結合し、再生した。

 血まみれのまま、桜歌とミナトがゆらりと起き上がった。

 「ほら、やっぱり駄目だったでしょ、ミナト」

 「そうだな。それにもう、僕達も時間がない」

 桜歌とミナトの口から唱和するようにこぼれる、獣の唸りにも似た慟哭が、大気を震わせる。

 桜歌とミナトが立ち尽くす六花、星花、蘇芳の隣へ歩みを進め、膝を付く。

 六花の涙を拭う桜歌の右手は、かろうじて人としての形と、かすかな体温を残していた。

 「ごめんね。母さん達の方が、悪いダーカーになっちゃった。でも大丈夫」

 と、六花の頬に触れる桜歌の右手が、徐々に熱を帯びて行った。

 「残ってるダーカー達も、私とミナトも、それに貴方達も……ぜーんぶ消しちゃうから」

 直後、桜歌の身体が、血色の光に包まれる。

 光に呼応するかのように、桜歌を中心とした空間の熱量が、緩やかに増して行った。

 儚げに桜歌が笑い、言葉を紡ぐ。

 「あれ、何言ってるんだろ私。本当は誰よりもこの子達を守りたかったはずなのに。 そうよね、ミナト……」

 桜歌の双眸から一筋流れる血の涙。ミナトが、無言で頷いた。

 その瞬間――六花の胸の深い深い場所で、何かが音を立てて弾けた。

 桜歌に頬を撫でられていた六花の瞳から、また涙が頬を伝いこぼれ落ちる。

 変わり果てた両親の姿を目にした時から、思考も感覚すらもとうに麻痺していたはずなのに。

どうして、涙が出てくるんだろう。分からない、分からない、分からない。

 すでに身体は、両親の返り血で血まみれだ。

“あれ、何言ってるんだろ私。本当は誰よりもこの子達を守りたかったはずなのに。 そうよね、ミナト……”

 母の言葉が、胸の深い深い場所で響いていた。

 六花の胸の奥から生まれたのは、深い海よりも澄んだ蒼をした、フォトンの光だった。

蕾が開くかのように溢れ出した輝きは奔流のように強まり、桜歌とミナトを飲み込み、研究プラント全域へ拡がった。

 清浄な光に包まれ、桜歌とミナトの身体が、足先から淡雪が融けるかのように消えてゆく。

 足が消え、腕が消え――最後に残った顔が消える瞬間まで、

ミナトと桜歌は目を閉じたまま六花、星花、蘇芳へ向けて微笑みを絶やさなかった。

 六花に全身を千の刀で切り裂かれるような痛みが走ったのは、その時だった。

 扱い方すら教わらぬまま、幼い身体でフォトンを無意識に暴発させた反動もある。

だが、己が手で消し去った両親の最期の微笑みは、六花の身体に、心に、万の傷跡となって痛みを焼き付けた。

 ゆっくりと、六花の意識が遠のいてゆく。

 目の淵から熱い涙が流れ落ちる感覚に、六花の意識は覚醒した。

 心臓を氷柱で貫かれたかのような痛みが、胸の内に残っている。

六花は疼く胸に手を当て、胎児のように身体を丸め目を閉じた。

 幼い頃の記憶が夢となって蘇っても、ただ涙を流す事しか出来なかった。この痛みが両親を消し去った罰と、分かっていたから。

 ふと、頬に優しく手が触れ、涙が拭われる感触に、六花はうっすらと目を開けた。

 ベッドに腰掛けた体勢で、六花の涙を拭っていたのは、蘇芳だった。

 背に生えた黒と白の翼で六花を守るように包み――さやかな星灯りに照らされ、

慈しむように微笑む姿。

 震える唇で、六花が言葉を紡ぐ。

 「大丈夫だから、もう構うな。これは、父上と母上を消した報いだ」

 蘇芳は哀しげに瞳を揺らすと、ゆっくり首を横に振った。

 拒んでも、蘇芳の手の温もりが――胸の痛みに沁み入って来る。ただ、六花はその身を委ねていた。

 どれほどの間、そうしていただろう。

 六花は自分からベッドに起き上がり、腰掛ける蘇芳の肩に寄り掛かる体勢で身を預けていた。

 絹糸を思わせる六花の髪を、優しく蘇芳が撫でる。

 と、蘇芳の黒と白の翼に、ふわりと身体を包まれた。身も心も全てを委ね、安らかな心地になれる。

 「義姉さん、少しは落ち着いた?」

 蘇芳の胸板に顔を埋め、六花が無言で頷いた。

 「蘇芳。私は、ここにいてよいのだろうか」

 幼い頃、両親を消し去った罪。永劫に許される事などないと分かっていた。

 自分のような哀しみを味わう者を、もうこれ以上出したくない。それは、六花が戦場に身を置く

理由の一つだった。これからアースガイド方との争いが激化したとて、変わる事はないだろう。

 だが、先刻のような痛みを忘れる事も出来なかった。

蘇芳の温もりに触れる度に、両親を消し去った罪の万の傷跡が疼いていたから。

 一対の翼で六花を包んだまま、蘇芳が力強く抱きしめて来た。胸の奥の鼓動が激しくなる。

 「今更訊かないでよ、そんな事。義姉さんの馬鹿」

 蘇芳の唇が、六花の唇に重ねられる。

 先刻の心臓を氷柱で貫かれるような痛みとは真逆の甘美で優しい痛みが走り――脳の髄が、ゆっくりと痺れて行く。

 濡れた唇から伝わる感触が、緩やかに温かく伝わり、骨の髄まで沁み込むようだった。

 吐息をこぼし、六花は目を閉じる。今だけは何も考えず、身を委ねていたかった。

 永遠にも思えるような口付けの後――

 ベッドに横たわる六花の手は、枕元近くの椅子に座る蘇芳の手に握られていた。

 幼子のように無垢な表情で、そっと手を握り返す。

 「義姉さん。また“構うな”って言っても僕は側にいるからね」

 六花が頬を朱に染めうつむいた。

 黙り込んだ六花を見やり、蘇芳がポケットから赤と緑のツートンカラーをした包装紙でくるまれた

小箱を差し出した。ショップエリアで、自分が受け取るのを拒んだ箱だった。

 蘇芳が包装を解き、中身を取り出し現れたのは――精巧な作りの勿忘草色の指輪だった。

雪の結晶の模様が左右に彫られ、アメジストが中心に飾られている。

 「僕からのクリスマスプレゼント。もう義姉さんにあげてもいいよね」

 頷く六花の左手の薬指に指輪をはめる蘇芳。

 誓いの刻印のように、蘇芳は口付けを指輪へ落とした。


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