「一月二日――離れし日――」

 一月二日の夜明け前の事だった。

 古式めいた洋館を思わせる作りの蘇芳の部屋。
奥の壁一面には本で埋め尽くされた棚が据えられている。

 枕元のキャンドル型をしたライトの灯りに照らされ、蘇芳はベッドからゆっくり起き上がった。
手を伸ばし、眠る六花の髪に触れる。

 それと同時に、急を告げるアナウンスが天井のスピーカーから響いた。

 「緊急作戦発令。地球の衛星・月に発生したエスカファルス・マザーの撃退作戦を開始します。
アークス各員は、クエストカウンターより、任務への参加をお願いします」

 六花は目を覚まし、枕元に置いていた刀、ヤミガラスを手に取った。

 「私とマトイが力を弱めて、ヒツギが一度浄化したあれが幾度となく出てくるとは。
アーデムの動向も気になる。蘇芳は先に寝ていてくれ。私が行こう」

 立ち上がる六花。だが蘇芳に手を引っ張られ、胸の内へ抱かれた。

 「駄目。行くのは僕だ」

 「何故だ。私の力量を信用していないのか?」

 蘇芳に胸の内へ押し留められ、強く抱き締められる。声を荒げた六花に、
蘇芳がゆっくり首を横に振った。

 「義姉さんの力は、誰よりも信じてるよ。でも、アーデムがマザーの力を取り込んだ後、
エスカファルス・マザーが頻繁に顕現してる。不自然だよね。だから僕が先に行って探るんだ」

 「行くなっ!」

 六花は無意識に蘇芳を抱き締め、腕に震える程に力を込めていた。
かすかな蘇芳の呻き声がこぼれる。

 「蘇芳は無理しなくても、そのままでいてくれればいい。私が守るから。
知っているだろう? 傷つくのに慣れているのは私の方だと。だから――」

 六花が続けようとした言葉は、蘇芳の唇に塞がれる。

 唇を六花から遠ざけ、蘇芳が言った。

 「義姉さん。僕だって、そんな優しい義姉さんが傷つくのは嫌なんだよ。
誰よりも、何よりも、大好きだから」

 知らぬうちに、六花の目から流れていた涙。頬に流れ落ちる雫を、蘇芳の唇が
優しく拭った。涙交じりの掠れた声が、唇からこぼれる。

 「蘇、芳……」

 「大丈夫。ちゃんと帰って来るから。六花義姉さんは星花義姉と
お出かけしてて。お願い」

 朝になり、六花が目を覚ましても、蘇芳は隣にいなかった。

 胸の奥が、心臓を抉られたように苦しい。

 “大丈夫。ちゃんと帰って来るから。六花義姉さんは星花義姉と
お出かけしてて。お願い”

  かすかな蘇芳の熱と、落ち着いた匂いが残るシーツを胸に抱く。
けれど、どれほど抱きしめたとて、胸に出来た空白は埋まらなかった。

 「分かった。蘇芳がそこまで言うなら」

 言葉を紡ぐも、喉の奥が熱くて苦かった。

 新年を寿ぐ飾り付けが、一帯に施されたショップエリア。

 ロビー中央、幾星霜もそびえ立つ荘厳な大樹を思わせる、朱塗りの大鳥居前で。

 桜色の優美な意匠の振袖を身に付け、首元に白いファーを巻いた六花が
星花を待っていた。六花の目がかすかに、泣きはらしたように赤い。

 六花の隣にはマトイが立っていた。白地に桜の模様を散らした、可憐な
振袖をまとっている。

 「遅いねえ、星花ちゃん」

 鈴を鳴らしたような声が、マトイの唇からこぼれる。

 六花は手元の端末を操作し、時計画面を呼び出した。

 午前九時五十五分。約束の時間を二十五分も過ぎている。

 「そうだな。一度ショップエリア全部と、あとフランカのカフェも
探してみる。マトイは体調が大丈夫ならここで待っていてくれ」

 「はーい。わたしを心配してくれるのは嬉しいけど、六花も無理しないでね」

 六花がフランカ’Sカフェの方角へつま先を向ける。

 

 「姉様、マトイ、お待たせっ!」

 どこか幼さを残す陽気な少女の声が、フランカ’Sカフェの入り口からこだました。

 大鳥居へ早足で掛けてくるのは、六花の実妹にあたる星花だった。山吹色の布地で、
牡丹と蝶が描かれた華やかな振袖姿。首には白いファーを巻いている。

 せわしない響きの足音が、六花とマトイの前で止まった。

 「はー、ごめん。遅れちゃったわね」

 六花が星花の頭を優しく撫でた。

 「来てくれたのなら、私達は気にしていない。ただ、何かあったのか?」

 

 やおら、星花が決まり悪そうに視線を宙に泳がせた。

 「えと……フランカ’Sカフェの新作おせちセットが美味しすぎて、
食べるのに夢中になっちゃった」

  六花が返事代わりに、星花の頬を左右に引っ張った。おろおろと六花を
見つめるマトイ。

 「痛い痛い、伸びる伸びる、姉様もマトイもホントごめんなさい!」

 六花がそっと右手で星花の頬を撫でた。

 「全く、朝餉にアイリスが作ってくれた雑煮を三杯、しかも食後に
汁粉を五杯おかわりしたのはどこの誰だ。心配、しただろう」

 六花と星花のやりとりを見守っていたマトイが、心底可笑しそうに
声をあげ笑った。

 「まあまあ、六花。星花ちゃんもフォースは得意だよね。ちっちゃい身体で
わたし達と同じようにテクニック使って、守護輝士で前線にも出てるんだもん。
お腹空くのは仕方ないけど、お姉さんを心配させちゃ駄目だよ」

 星花がバツが悪そうにうつむいた。

 「うん、地球の異変はもっとやばい方に転がっちゃったでしょ。いつアーデムとか
アースガイドとやり合う事になっても足引っ張らないようにって
毎日ずっと鍛錬してたから」

 ふわりと、六花の手が星花の頭に触れる。

 「すまなかったな。ところで星花、蘇芳はまだ帰っていないだろうか」

 「ごめんね姉様。カフェのゲートから出てきた蘇芳君とすれ違ったんだけどね、
“また月へ出撃して来る”ってすぐ行っちゃった」

 「そうか……」

 六花は寂しげに目を伏せ、胸に手を当てる。まだ、朝感じた胸の奥の空白が
残っていた。

 マトイが、六花を優しく抱きしめる。かすかに薫る木蓮の香が、六花を包んだ。

 「大丈夫だよ。わたしが「深遠なる闇」の依り代になっちゃった時
貴方は最後までわたしの事を諦めずにいてくれたよね。それと同じだよ。
蘇芳君の事も帰って来るって信じてあげよ、ね?」

 「そう、だな」

 六花が頷くのを見やり、マトイがそっと抱擁を解いた。

 星花がそっと、六花の左手を握ってきた。六花が左手の薬指にはめている、
蘇芳がくれた勿忘草色の指輪に、指先が触れる。

 「大好きな人を信じて待つのも、いい女の条件よ」

 六花にウインクする星花が、ふと大鳥居の柱に隠れた人影へ鋭い視線を向けた。

 「ねえそこのキミ。悪いけどあたし達は見世物じゃないんだから、用事があるなら堂々と出てきて欲しいな」

 柱の影から大鳥居をくぐり、六花達へ歩み寄ってきたのは、巫女装束を
まとった少女だった。濡れ羽色の腰まで伸ばした黒髪に、ぱっちりとした
琥珀色の目。 尖った長い両耳がニューマンである少女の種族を示していた。
年の頃は十七歳程だろう。兎を思わせる可愛らしい外見だが、怯えた小動物の
ように身体を萎縮させていた。

 「ご不快な思いをさせ、申し訳ありませんでした。貴方達の中で、刀と弓を
両方扱えるブレイバーさんはいらっしゃらないか、お声掛けするタイミングがわからなくて」

 六花が少女へ一歩進み出る。

 「刀と弓なら私が扱えるが。どうした、任務への参戦依頼か?」

 少女がゆっくりと首を横に振った。

 「いえ、今日弓の演舞と刀で剣舞をするはずだった子が熱を出したと聞いて。
それで代役をお願い出来る方を探しておりました。ですがやはりご迷惑ですよね」

 「いや、そのような事情があるなら致し方ない。力を貸そう」

 少女がはにかんだように微笑んだ。

 「ありがとうございます。申し遅れました、私はツバキと申します。
非才の身なれど、アークスの情報部に所属しております」

 星花とマトイが顔を見合わせ、ひそひそと囁き合った。

 「情報部って、カスラさんが司令の所だよね」

 「だね。この子困ってるみたいだから何も言わないけど、
もしあのメガネが姉様に手出ししたら許さないんだから」

 ショップエリア南側の広場。演舞と剣舞の舞台の用意が整っていた。

 黒漆を用いて、所々に金箔で鶴と亀が描かれた蒔絵細工が施された
舞台。アークスのアイドル、クーナのライブで使われる和風ステージと
同じくらいの大きさだろう。

 すでに観客席の九割程は、アークスと一般人で埋め尽くされていた。

 六花と共にいた星花とマトイは、すでに最前列の賓客席へ移動している。

 「ここにいるのがあたし達だけなのも、もったいないかも。蘇芳君
早く帰ってこないかな」

 寂しそうに瞳を揺らし、星花が足をばたつかせる。

 マトイが星花の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 「そうだね。焦らないで待ってようか」

 一方、六花へ控え室としてあてがわれた小部屋にて。

 広さはショップエリア中央広場の半分程だろう。
畳作りの部屋で、木製の机と座布団が敷かれた簡素な部屋だった。

 座布団に横座りする六花の隣に付き従うように、ツバキの姿があった。

 そして六花と向かい合わせに座るのは、情報部次席のクーナだった。

 「ごめんね。まさか演舞と剣舞の代役が六花だって思わなかった」

 「問題ない。刀と弓には慣れている」

 六花がツバキの依頼を引き受けた後この部屋に通され、待っていたクーナから
聞いた話はこうだ。

 クーナ自身のライブ前に、何か年明けらしいイベントが出来ないか悩んでいた事。

 同じ情報部であり、地球に滞在したことがあるアイカの提案で、日本と言う
国の伝統行事である演舞と剣舞に決まった事。

 ふと、クーナが悪戯っぽく微笑んだ。

 「でもありがとね。ツバキも情報部だけどあの子は好意で手伝ってくれてるだけだし。
このイベントの主宰はあたしだから、陰険メガネは出て来ないし安心して」

 「はい。六花様はご自身の心の赴くまま、動いて頂けると助かります」

 ツバキとクーナに頷き、六花は左手の薬指にはめた勿忘草色の指輪に手を重ねた。

 「ああ。蘇芳を待つ間、何かしていた方が私も気が紛れる」

 天井の照明に照らされ、指輪についたアメジストが密やかに輝いた。



 

 天を衝くような和太鼓の音がショップエリアに響き、用意された舞台に橙色の
照明が灯される。

 それと同時に舞台の右端に白い光の輪が現れ、演舞用の弓を提げた
六花が転送され現れた。

 六花は紫紺色の、地球で「狩衣」と呼ばれる衣装に身を包み、合わせて
「烏帽子」と言う名の帽子を被っていた。

 マトイと星花が座る賓客席と、後列の観客席へ優雅に一礼する。

 六花が立つ舞台右端から、対極の的まで約百メートル程。事前にツバキから
渡されている矢は 一本だけだった。

 構えの体制を取り、六花は目を閉じる。

 闇一色の世界。矢をつがえ、的へ向けて大きく引き絞った。

 蘇芳も今なお戦っている。信じて待つ自分も、蘇芳に恥じる事はしたくない。

 目を閉じたまま、六花はつがえた矢を放った。風鳴を従えた、神速の一矢。

 矢はあやまたず、的の中心へ命中した。

 割れんばかりの拍手の後、六花が賓客席と観客席へ一礼。一度照明が落とされ、的が
撤去されるまで五分もかからなかった。

 再び橙色の照明が舞台へ灯され、雅やかな和楽器の音がショップエリアに響き渡る。

 和太鼓の音を合図に、六花は朱塗りの鞘から刀を抜き放った。

 勇ましい舞楽に合わせ、六花が勇壮に舞う。その太刀裁きの一つ一つは、
散り行く桜を思わせる一瞬の力強さと気高さに満ちていた。

 六花の身体の奥が、熱を持ったように疼く。

 離れていても、この身朽ちるまで舞い続ける。その全ては、蘇芳の為に。

 もう、幾度目の踏み込みになるだろう。

 ふと、六花が無意識に観客席に視線を向けた時だった。

 最後列の立見席。蘇芳が六花をいとおしげに見つめている。

 六花が蘇芳に向けて微笑む。刹那とも呼べる時間の視線の交差。

 蘇芳が見てくれている。胸の空白は、もう温かなもので満たされていた。

 演舞と剣舞が、割れんばかりの拍手喝采で締められた後。

 六花は控え室でツバキとクーナに挨拶してから、マイルームに戻っていた。

 シャワーを浴び、寝巻きの桜色のドレスシャツ一枚に着替え――
蘇芳のベッドに倒れ伏す。

 まどろみの中、洗い立てのシーツを抱き締めた。

 脳裏をよぎったのは、剣舞を見てくれていた時の蘇芳が見せた、
いとおしさが溢れる表情。

 「蘇芳……」

 六花はこの上なく安らかな笑顔を浮かべ、眠りに落ちて行った。

 遠い、遠い意識の片隅で――

 至高の天衣を思わせる、柔らかな翼に身が包まれる感覚に
六花はうっすらと目を開けた。

 引き締まった蘇芳の胸の内へ抱かれ、白と黒の翼に身を包まれている。

 「義姉さん、やっと帰って来れたよ。ただいま」

 「おかえり、蘇芳。無事で良かった」

 微笑みながら、蘇芳の胸に顔を埋める六花。湯浴みを済ませて来たのだろう。
蘇芳からほのかに薫る石鹸の匂いが、六花を心地よく包む。

 「今日、月に二回出撃したけど収穫なしだった。ごめんね」

 「いいんだ。蘇芳が生きて帰って来てくれたから、それだけで」

 六花が蘇芳を優しく抱き締める。蘇芳の寝巻き一枚越しに感じる鼓動を
感じていられるだけで、十分だったから。

 蘇芳が六花の、絹糸のような髪を指で梳り言葉を紡いだ。

 「でも見られて嬉しかったな、義姉さんの剣舞。戦いで義姉さんの隣に立っても
恥ずかしくないくらいに、もっと強くならなくちゃ」

 「それが蘇芳の望みなら、無下には出来ないな。今日蘇芳を待ってる間に
星花とマトイが教えてくれた。離れても、信じて待つ事はけして無意味ではないと」

 六花が、蘇芳の胸に頬をすり寄せて言葉を継いだ。

 「だから、蘇芳が今朝みたいに緊急作戦に一人で参戦したいと言っても
もう何も言わない。ただ、これからアースガイドとも戦う事になるだろう。
私も何があっても必ず蘇芳の元へ帰るから、蘇芳もどうか……」

 六花が言葉を続けるより先に、蘇芳の柔らかな口付けが降ってくる。
六花は蘇芳を今一度強く抱き締め――少し腕の力を緩めると、慈しむように
ふわりと包んだ。

 蘇芳の唇が、六花の熱を帯びた耳にそっと触れた。

 「約束、だよ」


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